03/05/2025
250503
今日はゴールデンウィーク。5月3日土曜日。
現在午後3時。
畑から早めに帰り、花の苗を仕入れて駐車場に置いて、帰宅すると意外と早かった。今日から兵庫県に帰省します。
長い距離を運転したので、少し疲れを感じ、横になっていた。
すると、次女がいつも遊んでいるスペースに、1人で遊びにきた。
屋上に向かうための、階段の下にあるスペースで、雨が降るとそこには一定の場所にだけ水滴が落ちる。
その水滴を次女は缶詰にためる。缶詰に水が溜まっていく時、音が鳴るのだが、次女はその音の変化を楽しんでいる。
今日は行楽日和なので、雨は降らないが、次女は何か筆のようなものを使って、階段のステップに水をつけて、水滴が落ちるようにしていた。
僕はその様子を、網戸の内側から見たり聞いたりしていた。
次女はぼくに気づいていない。
百田尚樹さんが書いたモンスターという物語を、読んでいる時に次女はそのスペースにやってきた。
モンスターという物語は、1人の女の人が主人公で、その人がある街でフランス料理のお店を開くというところから、ストーリーは始まる。
モンスターを感じるような、変わった風景はその物語の序盤には出てこない、ただ、何かその主人公の女の人が、心の中に何かを秘めているという部分だけが、のどかな日常とともに綴られていく。
そんな時次女がサンダルを履く音がして、テクテクとやってきた。
なんだか独り言を口にしている。
可愛すぎる。
歌ってるような独り言だ。
干してあるタオルを、なんだか顔に擦り付けてるみたいな動きをしている。何をしてるのだ。
それからまた缶詰の位置を変えたりしている。
とても可愛い。
お腹のあたりが温もる。幸せを感じる。
主人公の女性が持つ秘密がなんなのかを知らない僕は、これから始まるモンスターの大活躍のことも全く知らず、これが幸せなのかもなんて考えてみたりする。
色々な本に幸せという言葉が出てくるが、それを総括してみると、どうやら今僕が感じているこの幸せが、人間が持つ最高の幸せなのだ。
僕はそう思う。
そんな僕にもあらゆる本能やあらゆる欲が備わっている。
結婚した女性以外の女性と、たくさん性欲を満たしたいと、獣のような考えを持つこともある。おそらくは全ての男性が持っている悩みを、 僕も持つことがある。
しかしおそらく、 その欲求を満たしたところで、この幸せには到達できないように思う。
欲求を満足させることと、幸せとは全く別のものなのだと、さっき理解できた。
次女のところにおばあちゃんがやってきて、何か言っている。
次女はこう言った。『シュッシュ?』
『シュッシュってなに?』
水滴を作るのに、次女はスプレーのようなものを使っていたのだろうか、スプレーはおばあちゃんのものだったのだろうか、よくわからないが、そんな場面ですら和む。
欲求や、 幸せとは違う次元のところで、僕には成し遂げたい何かがある。
地球環境がよくなるなら、命を投げ打ってもいいと考えるほどの、 変態だ。
ただそれを成し遂げたところで、先ほど僕が感じた幸せに到達できるかといえば、それは違うと思う。
じゃあ欲求とか夢とか言うのは何なのだ、自分の体の中から湧き出てくる、泉のような存在。
自分の夢を達成するためには、最近ではモチベーションのようなことを考えない。やる気はコンコンと内側から出てくるからだ。
目の前に食べ物があるのを、食べるためにモチベーションを気にする必要がないように、自分の夢を達成するためにモチベーションを全く必要ないのだ。
でもそれが幸せに直結しないとすると、欲求と夢の境界線がわからなくなってくる。
百田尚樹さんが書いたこのモンスターという本を読んでみて、その境界線のことについて書かれているか、気にしながら読んでみようと思う。